2001年度予算の大蔵省原案に20人程度の少人数授業を実現するための公立小、
中学校の教職員定数改善計画(五か年)が認められ、初年度5380人分の経費として
約220億円が計上された。今後、2006年までに継続的に教員の増員を実施していく方向で
検討に入っている。教育は最も効率のいい投資行動であるといわれる。
国の借金は一向に減らないが、次世代を担う人たちに対する直接投資は、次世代の人たちに
納得してもらえる唯一の借金なのではないだろうか。 20人学級がほんとうに実現するのかについては今後紆余曲折が予想される。 しかしながら、これまで頑として動かなかった定員数がここへ来て具体的な形で目標設定された ことは大きい。今後の動きについて注目していく必要があろう。 ●各国との比較 1クラス何人の授業が行われているのかということについて、各国を比較することは、実は ちょっと難しい問題がある。日本では学級編成は固定的で、ひとつの学級に入れ替わり立ち替わり 教師がやってくる。小学校の場合には、音楽などの専科を除き、学級担任がほとんどの科目を教える。 だが、世界各国をみると、必ずしもこのような授業形態で教育が行われているわけではない。 日本でもオープンスクールを実施している学校があるが、そこではそもそもクラスという概念がなくなってしまう。 インターナショナルに教育の実体を比較検討する場合に用いられる指標として、Student/Teacher Ratioがある。 生徒数を教育スタッフ数で割った比率で各国を比較するのだ。 この指標は単純ながら、各国が教育にどれだけ力を注いでいるのかを表すためには重要な指標だ。 この比率が少なくなればなるほど、教育を受ける学生や生徒にとっては相対的に利益がもたらされるであろうし、 その国が教育にどれだけ予算を割いているのかについてもある程度読みとることができるからだ。 ここで、アメリカ合衆国の教育省が報告しているデータを紹介しよう。 http://nces.ed.gov/surveys 統計データは1994年のデータになるが、2000年の6月に公表されたものだ。 その中からG7の国々のデータを抽出して表にしてみたのが表1である。
高等教育のデータは1992年のデータ 日本のStudent/Teacher Ratioはやはりそれほど高くはない。だが、もっと悪いはずだという 印象があるのは私だけではないだろう。日本の場合、障害を持つこどものための養護学校や特殊学級など の教員が相当数配置されている。 離島などの僻地では、極端にStudent/Teacher Ratio低い。 また、教頭、校務、教務、校長といった管理スタッフが比較的多いことなどが影響しているのかもしれない。 いずれにせよ、来年度からスタートするであろう教育に対する投資行動により、Student/Teacher Ratioは 今後数年間のうちに先進7カ国の上位に押し上げることになるものと思われる。 ●教員の個性化と競争の実現 学級の人数が少なくなればそれだけこどもたちに対する配慮がよくなる。 教師にとってはひとりひとりの反応を確かめることも容易になるだろう。 また成績表をつけるような作業も容易になる。 しかし、20人学級の実現は、単に指導内容の充実といった個別の授業レベルの変化で終わるような 話ではない。 教育スタッフの充実により、きめこかまく児童・生徒の個性に応じたプログラムを導入できるようになる。 そうなればこれまで学級単位で行われていた授業形態が学校全体で見直されるようになるのではないか。 学級の人数が減少すればするほど一人あたりの個性による差が授業の進行に与える影響が大きくなるからだ。 進度別にクラス編成したり、こどもの興味に応じた授業を行ったりする活動が増えるだろう。 少人数化によって、多様なスタッフを有機的に編成することが可能になり、多様なプログラムを提供できる時代が到来することになる。 このように学校経営そのものの根幹に関わる変化が期待できる。特に特殊学級や養護学校などの特殊教育 分野では、これからこれまでになかったような影響があらわれるのではないだろうか。 このコーナーでは、これまでアメリカ合衆国の食教育プログラムをたびたび紹介してきた。 読者の方は、「楽しく」「統合的で」「行動変容的な」プログラムが魅力的であるが、いざ 自分のクラスでそれを実現しようとすると、物理的な制約を感じざるを得なかった人が多かったのではないだろうか。 食教育は自分が食べる物の選択行動、朝食や夕食の内容など、家庭を巻き込んだ指導が必要な分野。 いいかえれば、知識の習得ではなく、行動の変容を目標とするようなプログラムや個性を延ばすプログラムの場合、少人数学級への動きは大きな追い風だ。 そして、そのような目的をもった教育プログラムこそが、今後21世紀に求められる教育プログラムなのだ。 さいごに、20人学級が成功するための要望として、教員の意識改革をあげておこう。 もし、20人授業が実現されても、それが「問題教師」を直接少なくすることにつながらないということだ。 このような問題教師がいても問題が表面化しないように作用するおそれもないわけではない。 確かに、「指導力不足」の教員にとって、学級の人数が減少することは技能不足を補ってくれることかもしれない。 しかし学級の人数の減少によって、こどもたちは「より楽しく」「より興味深い」教師を求めることになることを忘れてはならない。 いいかえれば少人数になることによって、教師の「質」がより明らかになってしまうということだ。 ほんとうに教育に対する投資効果を高めるためには、今後、教師間の切磋琢磨がさらに必要であることはいうまでもない。 この投資行動が実を結ぶために、いい意味での教師の競争が起こることを期待したい。 |
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